総括2016年の文化(前編)

 都市に対する郊外の、ホワイトカラーに対するブルーカラーの勝利―世界史的には、イギリスEU脱退(6月)とドナルド・トランプ合衆国大統領誕生(11月)を決定して先進国内部の格差を浮き彫りにした2つの選挙で記憶されるだろう今年は、日本にとってはどんな年だっただろうか。暮れも押し迫る今、2016年の日本を、1年を象徴する(と個人的に判断する)出来事や作品で振り返ってみたい。

 

 そもそも今年は、平成の連続性を象徴する存在が双方とも消滅を云々された、平成日本の特異年だった。天皇SMAPである。8月8日に発表された現天皇のいわゆる「お気持ち」と、8月14日未明に発表された「SMAP解散決定」速報は、ついに来るべき時が来たという思いを全国民に抱かせた。天皇が退位の意向を抱いていることは以前から明らかにされていたし、SMAPについても1月18日「SMAP×SMAP」生放送でメンバーが公式に解散を否定しても画面の「ポール死亡説」を思わせる演出(木村拓哉のみ白ネクタイ着用、等)が言葉を裏切ってメンバー間の溝を視聴者に伝えていたからである。しかし、様々なしがらみや国民=ファンの願望を背負っているがゆえにただ「辞めます」と言うだけでは辞められないこの二つの存在は、職場の事情や関係者の期待を背負うため「辞めたくても辞められない」日本の労働環境と正確に呼応してはいなかったか。

 

 この夏、第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香『コンビニ人間』は、学生時代に周囲に馴染めなかったがコンビニのアルバイトに自分の居場所を見つけ、その後18年間同じ店でバイトを続けている女性が語り手である。彼女がオープン当日のコンビニで自分の存在意義を発見する場面は次のように(感動的に)描かれている。

 

 「いらっしゃいませ!」

 私はさっきと同じトーンで声をはりあげて会釈をし、かごを受け取った。

 そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。(p.20)

 

 語り手は周囲から奇異の目を向けられるのを避けるため、18年間バイト以外就職も結婚もしていない理由を(妹の知恵を借りて)「体が弱いから」と通している。彼女は社会に対する都合良い言い訳として白羽さんというコンビニをクビになったダメ男を家に住まわせるまでになり、その延長で「おめでたい門出」を装ってコンビニも辞めることにする。しかし辞めた途端、彼女は何をしてよいかわからず世界と切断されているように感じ始め、新しい仕事の面接前にふと立ち寄ったコンビニで勝手に棚の並び替えを始めてしまう。

 

 「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです。」(p.149)

 

 注目すべきは、『コンビニ人間』の語り手がレジ打ちなどの単純労働のみを機械的に反復しているのではないということである。彼女は陳列の組み合わせを変えることで商品の売り上げが飛躍的に伸びたり、接客サービスの良さを店長に褒められたりすることにこそ喜びを感じている。文芸思想家の三浦玲一はリチャード・フロリダの「クリエイティブ経済」やネグリ&ハートの「生政治的な生産」という概念を援用し、1990年代以降「アイデンティティの労働が価値を生む」という思考が定着したことをハリウッド映画の分析を通して説得的に述べている。

 

 そして、フロリダもハートもネグリも、尽きることなき泉からこんこんと湧き出る水のような夢のエネルギーとして喧伝された原子力が、まるで(鉄腕アトムのように)人間の内部に移植されたとでもいうように、実質的に、無限のエネルギーとしての内在性/クリエイティヴィティが、これからの富の源泉となると主張している[]。それは、われわれの生においてもっとも重要なことは、自身のアイデンティティを維持・管理することだという思考であり、言い換えれば、アイデンティティの維持・管理さえ行われていれば、(それ以外の労働なしでも)われわれは生存し続けることが可能であり、可能であるべきであるという思考である。(『村上春樹ポストモダン・ジャパン』p.57-58)

 

 ここで三浦が「新しい労働」観の誕生を原子力の比喩と並行させていることは重要だ。それはただちにわれわれを、今年の日本映画を代表する2本の作品に導くからである。(つづく)