『それから』論

それからの近代小説        

 

 漱石作品の中で『それから』は際立って人工的な印象を与える。そこでは小説の構成など八方破れでも良いと言わぬばかりの闊達さは陰をひそめ、プロットは因習的な「姦通小説」をなぞり再生産するにとどまっている。(『虞美人草』はどうか?…確かに新聞小説第一作ということも手伝って人工性は散見されるが、しかし例えば『虞美人草』の錯綜するストーリーを的確に言い表す語があるだろうか?一方『それから』の筋書きなら誰でも覚えている。)

 むろん最大の目新しさは長井代助という、三十前後であるにも関わらず金のための労働を拒み趣味に没頭する人間を恋愛小説のヒーローに据えた点にある。これは漱石が「高等遊民」問題にいちはやく鋭敏さを示した証として批評家に称えられてきたが、おそらくそうではない。作者が「高等遊民」に小説的リアリティーを与えたことによって「高等遊民」は真に誕生したのだ。『明暗』に描かれる市民社会が大部分漱石の想像力の生産物であるのと同様に、理念型としての純粋な「遊民」をまず造型した上で三角関係のただ中に投げ入れてみたのが『それから』ではないか。小説の中盤、「十一」で代助はほとんど自らの小説的出自にパロディー的に言及しているかに感ぜられる。

 

「代助が黙然として、自己は何の為に此世の中に生れて来たかを考へるのは斯う云ふ時であつた。[…]彼の考によると、人間はある目的を以て、生まれたものではなかった。之と反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであつた。最初から客観的にある目的を拵へて、それを人間に附着するのは、其人間の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。」

 

 作家のみが「随意に」「最初から客観的にある目的を拵へて」登場人物に付与することができる。引用の続きで「歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。」「だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、是等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。」と描写されているが、三年前に自己の願望を知らずに三千代を平岡に譲ってしまった過去を考えるならば、この部分の過剰なレトリックはアイロニーだと考えざるを得ない。(われわれは『それから』の恋愛小説としての卓越性を論じる人びとに同調できない。小説の約束事を風刺する筒井康隆虚人たち』に誘拐ミステリーの面白さを評価するようなものだから。)ならば代助とは初手から作者の目的を与えられて生まれた人物である。本作は代助のRomanceを描くことで、現実に根ざしたノヴェルと対比して大岡昇平が好んで呼んだ意味での「ロマンス」たり得ているのではないだろうか。

 それならば作品の人工的印象も説明がつく。代助を周囲との軋轢に苦悩する特権的なヒーローに仕立てあげるために、ロマンスの作家は反抗する対象としての「周囲」をも自力で作り上げなければならない。芳川泰久は「姦通」を新聞小説で扱うことの効果について述べている。

「社会正義の基準として常に超自我的にはたらく検閲者としての新聞。秘匿されるべき他人の秘事を、いわばそのエロスの開示される細部に至るまで好奇の対象に仕立てようとする新聞。[…]だからこそ、そうした二つの拮抗する力のはたらく場で、しかも社会道徳から見ればはばかられる姦通を小説の主題にすることじたい、まさに新聞という媒体のもつ両義性と積極的に同調することを意味している。というのも、姦通じたい、読者の好奇をひく話題であると同時に、当時においては罰せられるべき禁止の対象であったのだから。そうした、いわば検閲と挑発という両義的な力の拮抗する媒体において、[…]姦通という主題は、新聞という媒体の隠喩そのものとさえ言えるかもしれない。そこに、新聞小説と姦通小説の隠れた類縁性が顕わとなるであろう。」

(『漱石論:鏡あるいは夢の書法』河出書房新社、p.311-312)

 

 しかしいわば自我のレベルで読者に晒されながら超自我のレベルで罰せられているのは禁忌としての姦通行為だけではない、それに集約されるいっさい、社会に対する代助の反抗的な身ぶりの総体である。そしてそれを描くためにこそ反抗する対象としての「父」が要請される。「近代小説は規範に反する主人公を応援しながら、そもそも主人公が登場しうるために、規範的な社会を必要とする」(平石貴樹アメリカ文学史』p.274)という根本原理を考えるならば、イーディス・ウォートンは『エイジ・オブ・イノセンス』で「今や失われた社会」を懐古的に描けばとりあえずは良かった。それに対し、漱石は近代日本の「社会」をまず小説的に構築せねばならなかった

 漱石の苦慮は注意深く読めば「三」で突然始まる列挙的な家族紹介に既に明らかだ。中でも父は漱石作品中もっとも重要な機能(社会=「父」の象徴)を与えられているが、しかし機能を説明することにのみ奉仕する文章が小説としての完成度に貢献できるとは限らない。

 

「代助の尤も應へるのは親爺である。[…]ただ應へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処した時の心掛けでもつて、代助も遣らなくつては、嘘だという論理になる」

 

 もちろん作者は技巧的な新聞小説家であるから、この後も戦争体験の有無や見合いの場面での結婚観、職業・労働観の相違等を使って読者に世代間の断絶を印象付ける。しかしそれもあくまで「よくやった」というだけのことである(ただし嫂の梅子は非常に良く描けているが)。それは代助が「自然の児」として三千代を愛することを決心する場面での、「最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた。…」というあまりに抽象的な社会観に露出してしまっている。『それから』の終幕の場面は象徴的だ。「ああ動く。世の中が動く」と口に出す代助は実は自分が景色とは逆行して動いているのを意識しつつ半ば喜んでいる。だが、動いているのは電車であり、代助というキャラクターの存在は依然「社会」の運動との逆立によって規定されてしまっている。

 『それから』が浮き彫りにしてしまったのは、「今日始めて自然の昔に帰るんだ」(十四)と代助がいくら宣言しようと、漱石の行き方ではそれを人工的なプロットや舞台の導入でしか描けないということだ。ロマンス的な主人公という図にはノヴェル的な社会という地が必要であり、ヨーロッパならぬ日本ではまず地の構築が問題になってしまうという背理。

 近代日本文学の流れの中で、『それから』の人工性を批評的あるいは審美的に克服しようとして一人ここから逃れえた作家が『暗夜行路』時代の志賀直哉であった。

「近代小説は枠組みとしての社会が前提として与えられ、その中で人間が社会にいかにかかわり、いかなる軋轢を経験してゆくかを描こうとする。[…]こういった近代小説の骨法といったものは『暗夜行路』ではほとんど用いられていない。というよりも、志賀はきわめて我儘なやり方でもって、それを無視し、時任謙作に因果関係が明瞭でなく、重要度が一定でない人物、情景、出来事を出現させるのだ。その上、彼を次から次へと場所を移動させ、彼の人生経験の場所を纏まりある社会として凝集させようとする手法は見せないのである。」(高橋英夫志賀直哉 近代と神話』文藝春秋社、p.264-265)

 

 『暗夜行路』で彼は『それから』と表裏の関係にある「妻の姦通」を扱い、典型的な「父と子」物語の筆法で書かれた自作『和解』を想起させる「序詞(主人公の追憶)」を巻頭に据えながら、両作品とは全く別個の論理で小説を書き継いでいった。そこにも小説が必然的にはらまざるを得ない作為を感じることはでき、つまる所『暗夜行路』も擬装した近代小説であるという面が指摘できると筆者は考えるが、それについては『明暗』との比較で再び考えたい。