(承前)
М ホシノくんが「成長」するっていうのは、わりと見やすい図式やと思う。その成長が俺らからしたら「はあ?」って思うものでも。じゃあ一方でカフカ少年はどうなのか。『海辺のカフカ』ってタイトルにもなってる少年、普通に考えたらこの子が成長する話やねんけど…。
そもそもこの小説、カフカの『アメリカ』―今は『失踪者』ってタイトルになってるけど―をタイトルからも意識してて、少年が家出するってのは最初の段階で決まってたと思う。それと、神話の枠組みを採用する、まあオイディプス神話やけど、も決めて書き出したのは間違いない。あとはその目論見が成功しているのかってことですよ。
何苦楚 目つぶさないし(笑)
М 目は別にええけど(笑)
猫先生 成功も何も、設定だけ聞かされてああそうなんですねって感じだもんねー。最初に「仮説として維持できる」ってセリフが出てきた時点で「もうオチないな」ってなるじゃん。それで押し切るんだなって。
М その段階ですでに(笑) 佐伯さんが母親ってのも書かれてるわけじゃないしね。
猫先生 だからそういう裏付けはまったく与えてくれないんだなってわかる。
М ミステリーやったら「この人が母親か」とか「この人じゃなくてあの人だったのか」とかなるけど、そういうのはない。
何苦楚 ミステリーとして読む必要はないんじゃないかな。
М でも導入部分は完全ミステリーやん。まあ春樹の全作品そうやけど。枠組みとして使うけど…
何苦楚 合ってるかどうかは読み手にゆだねるってことね。
猫先生 イメージで押し切るんだったら大島さんがお姉ちゃんでいいじゃん。実は女だから…って。俺それありかなって思ったら全然そっちの方向に行かないんだもん。
М でもその方向も読ませようと誘導してると思うけどね。
猫先生 そういう意外な犯人みたいなんもないと何を楽しく読めばいいのか。
何苦楚 だから成長譚なんだって。
М おっ!じゃあそれを言ってください。どの辺が成長したのか。
何苦楚 カフカ少年が森に行くけど森にとどまんないあたりが成長譚なんだよ。つまり森に行って森にとどまる人っていっぱい出てくるわけじゃん。
М えっ、ニートのこと?
何苦楚 兵隊が二人いるじゃないですか。でナカタさんも半分どっか行っちゃったじゃないですか。で佐伯さんも半分どっか行く。で僕も森に行って、帰って来る必要ないわけです。予言はこの時点で成就してるから。でもそこからまた戻って来る決断を下したっていうのは、かなりステップアップしてますねって書き方を明確にしてる。
猫先生 佐伯さんも半分行ったの?じゃあなんでバカにならないの?
何苦楚 バカにはなってないけど、ただ感情半分くらい失ってるし…
猫先生 あ、それもなのか。全部あれなんだね、ファジイなイメージで…(笑)
М 佐伯さんってほんとにリアリティーないよな。大島さん以上にないで。
何苦楚 そうだね。
猫先生 そのリアリティーのなさが突き抜けてくれればいいんだけどね。もっと図書館運営してる人がリアルな人たちで一人だけ超然とした人がいる、だったら「その人に起こったことは何なんだろう?」って思って読むわけじゃん。
М 全員フワフワしてる(笑)
何苦楚 確かにストーンがない、基準となる点がないんだよね。
猫先生 そうそうそう、「石が重い」って書いてあるだけで重い石がどこにもないんだよ!
М だからやっぱ、ナカタさんが出会う人たちが基準やろ。俺はほんとあの何ページかはすばらしいと思うけどね。いやすばらしいって言うか、普通の作家としては普通やで!(笑) これできなかったら作家なられへんからな。でも、え、春樹つかまり立ちできるんやん!って思った。
* * *
М 根本的な問題は、この「僕」に感情移入できないでしょ。
何苦楚 そう、タフだからね。
М いやタフやからじゃなくて!
猫先生 すごい大ざっぱな話をすると、下巻ぐらいになって、社会での閉塞感をちょっとでも感じてる人だったらナカタさんに感情移入して読めばいいんだなってなっちゃう。
М そう、ナカタさんは、メタ的にはそう設計されてると思うんやけど、「ナカタはからっぽの器です」みたいなことを言ってて、てことは読者も入れるってことやん。でも、「僕」にはたぶんどの読者も入れないと思う。
何苦楚 そうかな?「僕」って孤独でアイデンティティーが不確かな人だと思うから、「僕」に入るって言うか、シンパシーを感じながら併走していくことはできると思う。
М まあそうやって読めたらこの小説だいぶ面白いと思うけど、俺は入っていけなかった。
猫先生 だから読者がカフカ少年に入っていけないかわりにカフカ少年はお姉さんの中に入っていったんでしょ?
何苦楚 うまいこと言ってるのかよくわからないけど(笑)
М うまいこと言ってたとしても下ネタやん!(笑) カフカ少年が、それこそカフカの「流刑地にて」に出てくる処刑機械の描写について大島さんと話をするところがあって、「その複雑で目的のしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ。それは比喩とか寓話とかじゃない。でもたぶんそれは大島さんだけではなく、誰にどんなふうに説明しても理解してもらえないだろう。」(上p119)って思うんやけど、ってことは俺らにも絶対わからんってことやん。読者の感情移入はここで拒まれてるねん。
猫先生 これは結局…どういう「意味」なの?
М わからん。もうまったくわからん。これはこの作品の中でも一番わからんとことして放置されてて、もちろん種明かしもない。この作品メタファーって言葉めっちゃ出てきて、「リアリティーではないけどメタファーとしてそうなってる」って現象がいっぱい起きるけど、この処刑機械だけは「比喩とか寓話とかじゃない」って書かれてるから「リアリティーとしてこうです」やねんよな。この一節は小説全体にも逆らうくらいの強烈さで、ゼロ点になってるから感情移入誰もできない。
何苦楚 「処刑機械」が何をさしてるかはわかんないけど、僕の持ってる精神的な閉塞感とか圧迫みたいなものに対する…。
М でもそれは「比喩」やろ?
何苦楚 そうか、今の言い方だとまさに大島さん的な読み方になっちゃうのか。
М この小説に出てくる他の意味不明な出来事、魚が降って来るとかも理解はできないけど、読者が何らかの解釈をする可能性には開かれてる。でもここは何の解釈も許しませんって言ってる。それってけっこう強烈やんね。
猫先生 僕は理解不能な出来事が多かったからそこだけだとは思わなかったけど(笑) じゃあさ、何苦楚君が苦しい弁護みたいなるのもアンフェアだから聞くよ…どこが魅力?
何苦楚 うーん、やっぱ最後はうまく落ちてる気がするけどね。
М (失笑)え、どこが???
猫先生 「たぶんそれはM君や猫先生だけではなく、誰にどんなふうに説明しても理解してもらえないだろう。」
М 感情移入拒まれたわ今ので(笑)
何苦楚 第49章じゃん、やっぱり?
М え、最後の「世界の一部になっている。」ってやつ?
猫先生 それさ、どんな文章1000ページ読まされても最後これ書いてあったらいいってこと?エヴァンゲリオン最短版みたい、オープニング終わったら「おめでとう」みたいな。
何苦楚 それは言いすぎだろ(笑) これカラスって最後までいるんだっけ?
М いるよ。むしろ最後はカラス視点から「君」で語ってる。「絵を眺めるんだ」「風の音を聞くんだ」とか言ってる。こいつ『風の歌を聴け』にどんだけ誇り持ってるねん!
何苦楚 東京から四国に行って東京に帰る、っていう話なのがいい。
М でもそれ自体はありふれた話をあえてやってるわけやん。『スタンド・バイ・ミー』もそう。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』もそう。
猫先生 “Kafka. I’m Kafka. It’s OK.”
М でカフカがナカタさんに輸血して抱き合う、みたいな。
何苦楚 やっぱり森なんじゃない?森の描写なんじゃない、キーは。
М いや森の描写はヘタすぎるやろ!(笑) それこそメタファーとしての森やん。
何苦楚 ごめん森じゃない、森の先の世界かな?時間がなく空間もなく、ただ佐伯さんと、っていう。
猫先生 え、兵隊に導かれて行ったとこ?
М え、精神と時の部屋みたいなとこ?
猫先生 でも森の家はさー、森の描写じゃないじゃん。
何苦楚 そこが一番おもしろかった。なんかよくわからない空間で…。
猫先生 それはさ、『2001年宇宙の旅』の最後に出てきたホテルの部屋を見て「宇宙ええなあ」って言ってるのとおんなじでしょ?それは宇宙じゃないじゃん。
М たしかに!いいたとえ。
猫先生 それは宇宙を超えたところにあるものなのかもしれないけど、宇宙じゃないよ。
何苦楚 でもさ、この世界をどう名指せばいいのかわからなくて、おもしろいと思うけど。
猫先生 じゃあやっぱダイレクトに『2001年』のラスト見て「宇宙やー!」ということね。
М 「新しい世界の一部になっている。おめでとう。」
猫先生 世界の一部じゃなくて、「スターチャイルドが待っている。」だよ
М いやもうそれ2001年やん!(笑)