『或る女』論

 

文壇に於ける白樺主義の代表者「タケロヲ、アリシマ」の小説について

 

 

革命主義を政治上に實行せんと企てたるは士人なり之を文學上に発揮したるは詩人なり「シヨウヨー」を読む者は通観一過してその言文一致論にかぶれたるを知るべし「シメー」の如きは多言を須たず“A Floating Cloud”の一篇之を證して餘りあらん。「ソウセキ」に至っては満腔の不平一發して「アイアムキヤツト」となり再發して「ボツチャアン」となり餘憤沸々然常に其の毛孔より溢出すと云ふも可なり。沈着にして旧慣を重んずる明治の詩人が従来の面目を一洗して此思想を唱道し中には身を梃んでて此主義の為に打死にせし位なるに不思議なるかな民主の政に近づき四海同胞の訓へを奉ずる大正にては一人の我は帝國の小説家なりと大呼して名乗り出らるる者なし「ムシャノコージ」は詩人なるべしされど其文章は常に中学生程度に溯って小説の新開地にあらず「シガナオヤ」は文章家ならん然し其嗜好は矢張暗夜行路に落付かずして之を中断し亦心境小説に向かへり。其他「サトミトン」にせよ「キクチカーン」にせよ自家一流の特色を具へたるには相違なかるべきも如何せん日本文学を代表するに適したる新作家は頓と出現せざりしなり。然る處天茲に一偉人を下し大に大日本帝國の爲に気焔を吐かんとにや此偉人に命じて雄大堅密の小説を作らしめ筋は露西亜平原を横行する「トルストヰ」の如く主人公は洪濤を掠めて遠く大西洋の彼岸に達し説く所の自己本位は「シメー」「ソウセキ」をも厭倒せんとしたるは實に近来の一快事と云はざるべからず。

 

此小説家名を「タケロヲ、アリシマ」と云ひ官吏の子なり一八七八年「ブンキョーク」に生まる幼にして学習院の生徒となり夫より雑誌白樺の編修人となり廿歳の時「サツポロ」に移り一九〇一年始めて“Life of Livingstone”を著す。さはれ「アリシマ」を「ソウセキ」らに比して日本の十大小説家なりと云へるは「カーガオツヒコ」なり、白樺派の例外的存在と位置付けしは「ホンダシューゴ」なり、渠の比喩と表出は新感覚派の先駆なりと云へるは「リューメエ」なり。真面目にして滑稽ならざるは「オオカショヘー」の難ぜしが如きにせよ、兎に角四十一歳の頽齢で「或女」を以て文壇に旗幟を翻して、在来の小説に一生面を開き、摩いで風靡する所は、仏にては「フローベエル」の「マンダム、ボヴァリー」となり、米にては「ジエームス」の「ロデリクハドスン」となり、今に至つて「白樺」派の名を歴史上に留めたるは、假令百世の大家ならざるも亦一代の豪傑なるべし。

 

「或女」に就いて言はばheroine葉子の遷移読む者の目に明らかにして心理描写巧みなり。「前編」での葉子は一極「ロマンティツク」なり「葉子はその頃から何所か外國に生まれてゐればよかつたと思ふようになつた。あの自由らしく見える女の生活、男と立ち並んで自分を立てて行くことのできる女の生活…古い良心が自分の心をさいなむたびに、葉子は外國人の良心といふものを見たく思つた。」(六章)、「是れから行かうとする米國という土地の生活も葉子はひとりでに色々と想像しないではゐられなかつた。米國の人達はどんな風に自分を迎へ入れようとはするだらう。兎に角今までの狭い悩ましい過去と縁を切つて、何の関りもない社界の中に乗り込むのは面白い。和服よりも遙かに洋服に適した葉子は、そこの交際社会でも風俗では米國人を笑わせないことが出来る。…才能と力量さへあれば女でも男の手を借りずに自分を周りの人に認めさすことの出来る生活がそこにはあるに違ひない。」(十一章)、「而して生まれ代わつた積りで米國の社界に這入りこんで、自分が見付けあぐねていた自分といふものを、探り出して見よう。…自分は如何しても生まるべきでない時代に、生まるべきでない所に生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代と所とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になほつても恥しくない程の力を持つことが出来る筈なのだ。」(十六章)、等々。木村との結婚をば「何しろ私共早月家の親類に取つてはこんな目出度い事は先づない。無いには無いがこれからがあなたに頼み所だ。どうぞ一つ私共の顔を立てて、今度こそは立派な奥さんになつておもらひしたいが如何です」(八章)と或る如く体面のみから祝福せんとする「家」の世界を假にMannersの世界と名付くれば過去及び因習を無き物とせる米國亜米利加)はRomanceの世界と呼ぶも可なり。此れ一旦は小説範疇上の「ローマンス」(通常「ノヴェル」と対比す)とは別なれど、筋が著しく「ローマンス」に近き藤村居士の「破戒」或いは「ドストエフスキヰ」の作「カラマアゾフ」に各々「テキサス」、「アメリカ」が丑松及び「ドミトリヰ」のExodusの目的地と定められ現るる点と一般にして奇遇なり。「ローマンス」小説に於ける亜米利加表象の問題と銘す可し。

 

 

「アリシマ」は「ムシャノコージ」の如く博愛の精神を鼓舞し自己中心の風を養って社会を生きんと欲する者にあらず又「アクタガワ」の如く退いて題材を古典に求め瞑目潜心して古今の霊気と冥合し以て天賦の徳性を涵養せんとする者にあらず父子相剋の風を寫し気分を重んずるの気象を奨励せんと欲すること「シガ」に及ばず肉欲貧窮姦婦腐僕を露して一世を感泣せしむること自然主義の詩人に及ばず然らば彼れ何を以て此個々独立の人を超出しオリジナリチーを主張するぞと問はば己れ「アリシマ」に代わつて答へん別に手数のかかる道具を用ふるに及ばず只“womanly love of steward”あれば足れりと。此篇は固より倉卒の際になりし者故無論諸家を商量するの暇はなかりしかど舶載の書に乏しきを以て参考せんと欲して参考する能はざりし者も亦尠からず幸に「ポール、アンドラ」の論文を覧ることを得て稿を草するの際裨益を得たること多し。