第1回天上天下唯我独奇書読書会のお知らせ

みなさま

 

Nicoです。今年も残り数時間ですがいかがお過ごしでしょうか?よるべなき人形としての生の中、濃霧に不連続線を探すため、来たる1月9日宵刻、奇書読書会を開催致します。

 

日時:2016年1月9日(土)19:00~

場所:東京都文京区本郷通り沿い CafeLounge BON ART(ボン・アート)

   [東京メトロ丸の内線本郷三丁目下車、東京大学方向に徒歩5分]

課題書:竹本健治匣の中の失楽』(15年12月発売の講談社文庫版を推しますが、それ以前のどの出版社の版でもかまいません。)

 

 読み方・感じ方は自由なのでどのような話し合いになるかわかりませんが、開催者の特権としてお題を一つ ― 「何がリアルなのか?リアルはどこにあるのか?」

 

 参加したい方は、twitter上で@bachelor_keatonに参加表明のツイートを頂けるとありがたいです。当日課題書を持参のうえ直接上記の場所にお集まりください(「カタジョウ」の名で席を取っておきます)。場所に不安のある方は連絡いただければ待ち合わせ等行います。

 それでは、みなさまにとって良き年となりますように。

『明暗』&『暗夜行路』論

偶然と運命のキアロスクーロ

 

 

 『明暗』と『暗夜行路』、近代日本文学を代表する二つの大作の微妙な関係は、ある程度漱石と志賀の関係の微妙さを反映している。『暗夜行路』完結後の「あとがき」を志賀は、自分が連載するはずの長篇が思うように書けず漱石に詫びた(このため『こころ』の「先生の遺書」が長大化することになる)という二十五年も前のエピソードから書き起こしている。

「私の出すべき長篇小説の空地はその頃の私位の若い連中の中篇小説幾篇かで埋める事になったが、義理堅い夏目さんに迷惑をかけた事を大変済まない事に感じ、何時かいい物を書いて、朝日新聞に出そうと思ったのが、他にも理由はあったが、それから四年程何も作品を発表できなかった原因の一つであった。その四年間にも私は未完成の長篇[=『時任謙作』]を時々書き続けようとし、それが出来るまでは別の短篇を書いても他の雑誌へ出すことは遠慮しようと思っていたのだ。ところがその間に夏目さんは亡くなられた。」(『暗夜行路』新潮文庫版、p.516-517)

 

 そうした経緯ののちに『暗夜行路』を連載し始めた時、志賀の頭の内に『明暗』への意識がなかったとは想像しにくい。そして後篇に至っては「妻の不義」という漱石的主題まで導入し、最後の場面を医者の術式を受ける男性主人公という、『明暗』が始まった場面で締めくくってみせたのである。

 しかし志賀が執筆時に実際に意識していたかどうかは重要ではないかもしれない。重要なのは、その相似性のためにいっそう、両作家の資質の違いが各々の最大長篇に際立って表出していることだろう。例えば『暗夜行路』前篇の「或る彼はもっと突き進みたがっている。然し他の彼がそれを怖れた。愛子との事で受けた彼の傷手は未だ、彼には生々しかった。」(p.57)や後篇の「君の云う事に間違いはない。然し僕としてはそれは最も不得手な事だからね。それと仮令直子に罪がなかったとは云え、僕達の関係から云えば今まで全然なかったもの、或いは生涯ないとしていたものが、出来た点で、今までの夫婦関係を別に組み変える必要があるような気がするんだ。極端なことを云えば仮に再び同じことが起っても動かないような関係を。―」(p.435)という箇所は、必要な変更を加えれば『明暗』の抽象的な文章のただ中に置くことができよう。だが、

 

「ヤイ、馬鹿」

仔山羊は美味そうにその葉を食った。揉むように下顎だけを横に動かしていると、葉は段々と吸い込まれるように口へ入って行った。一つの葉が脣から隠れると謙作は又次の葉をやった。仔山羊は立った儘の姿勢で口だけを動かし、さも満足らしく食っている。謙作はそれを見ている内に昨夜来自分から擦抜けて行った気分を完全に取り戻したような気がした。彼は一寸快活な気分になって、

「さあ、お仕舞だ」と云って、両の掌に仔山羊の小さい頭を挟んでぐいと胸へ引き寄せた。(p.36)

 

といった素晴らしい一節における謙作の「気分」の描写は、漱石の後期作品群を『彼岸過迄』まで遡らないと見出し得ないものである。この「仔山羊」は筋の展開から要請されたディテールではなく、またその点にこそ「気分」の描写の成否が賭けられている。

「要するに自分は不幸な人間ではないと謙作は考えた。自分は全くの我儘者である。自分は自分の思う通りをしようとしている。それを人は許して呉れる。自分は自分の境遇によって傷つけられたかも知れない、然しそれは全部ではない、それ以上に自分は人々から愛されていたのだ。」(p.273)

 謙作は小説のある時点でこのような気分に浸るが、『暗夜行路』では著者が語るように「外的な事件の発展よりも、事件によって主人公の気持が動く、その気持の中の発展」(p.521)、すなわち「気分」の変遷が描かれていれば、極論「それでよい」のだ(題名の”行路”が象徴しているように)。上の謙作の述懐は、著者による『暗夜行路』へのメタコメンタリーともなっている。

 

 

 では『明暗』はいかなる作品か。これは連載二回目にして張られた伏線、「何うして彼の女は彼所へ嫁に行つたのだらう」という津田の独白を全編かけて回収しようとしている小説である。にも関わらずその回収が遅延(「彼の女」の名が「清子」と判明するのすら「百三十七」)されたあげく宙吊り(清子は「百八十五」でようやく台詞を発するが、作品は「百八十八」で途絶)にされてしまう異様な小説でもある。遅延と宙吊りのメカニズムは作品のデザインにも影を落としていて、人物同士の対話が何節をも跨ぎ、地の文の注釈によって引き伸ばされ、決定的なアクションの発生に至る前に次の場面へと移行していく。謙作をほぼ全編の視点人物とし、結末部(および、要との関係が回想される後篇第五章)を除けば妻直子に視点を譲らない暗夜行路とは異なり、『明暗』では津田の妻お延の心理も彼女の視点で精緻に解剖され、そのため一層出来事に対する叙述が長くなっている。次の一節は『明暗』の基本原理を象徴している。

 

 お延は久し振に結婚以前の津田を見た。婚約当時の記憶が彼女の胸に蘇へつた。

「夫は変つてるんぢやなかつた。やつぱり昔の人だつたんだ」

斯う思つたお延の満足は、津田を窮地から救ふに充分であつた。暴風雨にならうとして、なり損ねた波瀾は漸く収まつた。けれども事前の夫婦は、もう事後の夫婦ではなかつた。彼等は何時の間にか吾知らず相互の関係を変へてゐた。

波瀾の収まると共に、津田は悟つた。

「畢竟女は慰撫し易いものである」

彼は一場の風波が彼に齎した此自信を抱いてひそかに喜んだ。[…](「百五十」)

 

ここで津田のお延に対する認識面での優位を読み取るのは後回しにして(それはいつ逆転するかわからない)、まずは津田とお延の視点が同等の分量で並置されることで醸し出される「説話論的な睦まじさ」(渡部直己『日本小説技術史』p.272)に注目せねばならない。『明暗』という題がすでに示唆する二極構造で貫かれた本作において、お延は完璧に津田のカウンターパートをこなし得ているのだ。実際津田-お延を中軸に、秀子-継子、藤井家-岡本家、はシンメトリーをなして配置されており、それを上層階級の吉川夫人と下層階級の小林が挟み込む、堅牢な構造を小説は実現している。圧巻はもちろんお秀が病院の津田を見舞いお延の扱いをめぐって口論している部分に続く「お秀が斯う云ひかけた時、病室の襖がすうと開いた。さうして蒼白い顔をしたお延の姿が突然二人の前に現はれた」(「百二」)とそれを受けてのお延視点による出来事の再構成である。このように一つの視点を常に相手側の視点によって相対化し、さらには吉川夫人の干渉・小林の批判にもさらすことによって、限られた登場人物数で「社会」の多層性を表現しようというのがおそらくは漱石の方策であった。直接は相対峙しない吉川夫人-小林の縦軸と常に角突き合わす津田-お延の横軸で張られたグリッドの中で登場人物達が互いの目を意識し合うゲームは、阪口ら男友達との交友とお栄ら家族との関係が独立に進行する『暗夜行路』には全く見られなかった。家族制度も『明暗』の中では、「己達は父母から独立したただの女として他人の娘を眺めたことは未だ嘗てない。だから何処のお嬢さんを拝見しても、そのお嬢さんには、父母といふ所有者がちやんと食つ付いてるんだ。だからいくら惚れたくつても惚れられなくなる義理ぢやないか。」(「三十一」)という藤井の叔父の言葉に端的に読み取れるように、小説家によって「社会」の開始点として機能的に活用されているのだ。

 

 以上の帰結として、『明暗』はすべての心理が表面に浮上し読者の目に映ずる、表層が大きな意味を有する作品となった(「津田は其微笑の意味を一人で説明しようと試みながら自分の室に帰つた。」という一文で終わっているのは、偶然とはいえ本作にふさわしい)。全知の三人称視点で叙述される『明暗』の明るく均質な作品内空間は、冒頭に一人称で語られた「序詞(主人公の追憶)」を有し、それが後に「謙作は自分の事を彼方へ打明ける一つの方法として、自伝的な小説を書いてもいいと考えた。然しこの計画は結局この長篇の序詞に『主人公の追憶』として掲げられた部分だけで中止されたが[…]」(p.275)のように登場人物にすぎない謙作と作者である志賀を重ね合わさせるための「表現機構」(安藤宏)として機能している、『暗夜行路』の不均質な作品空間と対照的である。但し『明暗』が「近代小説」的かというとそうでもなくて、作品内の劇場や酒場が「公共圏」として機能することなく病室や津田の邸宅と同じく既知の人物同士が対話する場所にしかなっていない点には注意が必要であり(富山太佳夫「近代小説、どこが?」)、むしろ『暗夜行路』の娼家や寺院の方が多様な人間が出入りしており「社会」を描けていると評価できるのかもしれないが。

 

 現実とは独立に緊密に構築された『明暗』の小宇宙と、世界に開かれた『暗夜行路』の緩やかに構成された作品世界。最後にこの問題を整理しておきたい。既に引用した独白の直前、『明暗』の津田は友人に紹介されたポアンカレーの「偶然」の理論を想起している。

 

「だから君、普通世間で偶然だ偶然だといふ、所謂偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎて一寸見当が付かない時に云ふのだね。」(「二」)

 

 漱石は『明暗』の小宇宙の中で登場人物同士を原子のようにぶつけその相互作用による「偶然の出来事」を演出しているように思われる。九鬼周造によれば「偶然」とは「例えば病人の見舞に行くとしまして、その病人に遇うことは偶然ではない。わざわざ遇いに行ったのですから偶然ではない。然しそこへ見舞に来合わせた誰それに、思いがけず、遇うことは偶然です。[…]すなわち必ず遇うにきまっていない、遇うことも遇わないこともできるような遇い方をするのが偶然であります。」(「偶然と運命」1937年)と説明しているが、これはまさに『明暗』のためにあるような一節ではあるまいか。

 

 単に病院でお秀に出会うといふ事は、お延に取って意外でも何でもなかつた。けれども出会つた結果からいふと、又意外以上の意外に帰着した。自分に対するお秀の態度を平生から心得てゐた彼女も、まさか斯んな場面で其相手にならうとは思はなかつた。相手になつた後でも、それが偶然の廻り合わせのように解釈されるだけであつた。その必然性を認めるために、過去の因果を跡付けて見ようといふ気さへ起こらなかつた。(「百十一」)

 

 登場人物にとっての偶然の衝突が読者の視点では起こるべくして起こった”必然”としか思われない所に、『明暗』を読む歓びがある。シンメトリーの均衡を食い破るお秀のお延に対する反抗、吉川夫人に使嗾されての津田の温泉行き、それらの「偶然」の累積がもたらすカタルシスをもはや読者が見届けることは叶わないので、涙を呑んで『暗夜行路』に目を移すと、ここでは「運命」の槌音が謙作が祖父の子であることを明かす「序詞」から大山での終曲まで通奏低音として鳴り響いていることがわかる。

 

誰からも本統に愛されていると云ふ信念を持てない謙作は、僅かな記憶をたどって、矢張り亡き母を慕っていた。その母も実は彼にそう優しい母ではなかったが、それでも彼はその愛情を疑うことはできなかった。[…]実際母が今でも猶生きていたら、それ程彼にとって有難い母であるかどうかわからなかった。然しそれが今は亡き人であるだけに彼には益々偶像化されて行くのであった。(p.57-58)

 

直子は急に眼を堅く閉じ、首を曲げ、息をつめて顔中を皺にした。そしてそれを両手で被うと、いきなり突伏し、声をあげて烈しく泣き出した。[…]彼は直子のこの様子を、どう判断していいかと先ず思った。次に彼は兎に角自分達の上に恐ろしい事が降りかかって来た事を明らかに意識した。(p.421)

 

「謙作は母の場合でも直子の場合でも不貞というより寧ろ過失と云いたいようなものが如何に人々に祟ったか。自分の場合でいえば今日までの生涯はそれに祟られ通して来たようなものだった。」(p.493)と後に繋げて整理されているが、『暗夜行路』は構成が緩く物事の連関が少ないために、読者は謙作が運命もしくは宿命のように感じているものを個々の偶然に切り分けて読むことができる。謙作には出来事は世界の側から到来し続け、「運命とは偶然の内面化されたものである」(九鬼周造)の公理に従って、彼はそれを生きる。

 そこまで考えれば、「おれは今この夢見たやうなものの続きを辿らうとしてゐる。東京を発つ前から、もつと几帳面に云へば、吉川夫人に此温泉行を勧められない前から、いやもつと深く突き込んで云へば、お延と結婚する前から、―それでもまだ云ひ足りない、実は突然清子に背中を向けられたその刹那から、自分はもう既にこの夢のやうなものに祟られているのだ[…]―すべて朦朧たる事実から受ける此感じは、自分が此所まで運んで来た宿命の象徴ぢやないだらうか」(百七十一)と内省する津田と謙作との距離、「ただ自分で斯うと思ひ込んだ人を愛するのよ。さうして是非其人に自分を愛させるのよ」(七十二)と叫ぶお延と「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分はこの人を離れず、何所までもこの人に随いて行くのだ」(514頁)と思う直子との距離が、意外なほど近いことにも思い至らないだろうか。対照的な両作品の人物造形における「偶然」の類似は、日本近代小説の「運命」を思索させるには十分である。

 

『それから』論

それからの近代小説        

 

 漱石作品の中で『それから』は際立って人工的な印象を与える。そこでは小説の構成など八方破れでも良いと言わぬばかりの闊達さは陰をひそめ、プロットは因習的な「姦通小説」をなぞり再生産するにとどまっている。(『虞美人草』はどうか?…確かに新聞小説第一作ということも手伝って人工性は散見されるが、しかし例えば『虞美人草』の錯綜するストーリーを的確に言い表す語があるだろうか?一方『それから』の筋書きなら誰でも覚えている。)

 むろん最大の目新しさは長井代助という、三十前後であるにも関わらず金のための労働を拒み趣味に没頭する人間を恋愛小説のヒーローに据えた点にある。これは漱石が「高等遊民」問題にいちはやく鋭敏さを示した証として批評家に称えられてきたが、おそらくそうではない。作者が「高等遊民」に小説的リアリティーを与えたことによって「高等遊民」は真に誕生したのだ。『明暗』に描かれる市民社会が大部分漱石の想像力の生産物であるのと同様に、理念型としての純粋な「遊民」をまず造型した上で三角関係のただ中に投げ入れてみたのが『それから』ではないか。小説の中盤、「十一」で代助はほとんど自らの小説的出自にパロディー的に言及しているかに感ぜられる。

 

「代助が黙然として、自己は何の為に此世の中に生れて来たかを考へるのは斯う云ふ時であつた。[…]彼の考によると、人間はある目的を以て、生まれたものではなかった。之と反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであつた。最初から客観的にある目的を拵へて、それを人間に附着するのは、其人間の自由な活動を、既に生れる時に奪つたと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何な本人でも、之を随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経過が、既にこれを天下に向つて発表したと同様だからである。」

 

 作家のみが「随意に」「最初から客観的にある目的を拵へて」登場人物に付与することができる。引用の続きで「歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。」「だから、代助は今日迄、自分の脳裏に願望、嗜欲が起るたび毎に、是等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。」と描写されているが、三年前に自己の願望を知らずに三千代を平岡に譲ってしまった過去を考えるならば、この部分の過剰なレトリックはアイロニーだと考えざるを得ない。(われわれは『それから』の恋愛小説としての卓越性を論じる人びとに同調できない。小説の約束事を風刺する筒井康隆虚人たち』に誘拐ミステリーの面白さを評価するようなものだから。)ならば代助とは初手から作者の目的を与えられて生まれた人物である。本作は代助のRomanceを描くことで、現実に根ざしたノヴェルと対比して大岡昇平が好んで呼んだ意味での「ロマンス」たり得ているのではないだろうか。

 それならば作品の人工的印象も説明がつく。代助を周囲との軋轢に苦悩する特権的なヒーローに仕立てあげるために、ロマンスの作家は反抗する対象としての「周囲」をも自力で作り上げなければならない。芳川泰久は「姦通」を新聞小説で扱うことの効果について述べている。

「社会正義の基準として常に超自我的にはたらく検閲者としての新聞。秘匿されるべき他人の秘事を、いわばそのエロスの開示される細部に至るまで好奇の対象に仕立てようとする新聞。[…]だからこそ、そうした二つの拮抗する力のはたらく場で、しかも社会道徳から見ればはばかられる姦通を小説の主題にすることじたい、まさに新聞という媒体のもつ両義性と積極的に同調することを意味している。というのも、姦通じたい、読者の好奇をひく話題であると同時に、当時においては罰せられるべき禁止の対象であったのだから。そうした、いわば検閲と挑発という両義的な力の拮抗する媒体において、[…]姦通という主題は、新聞という媒体の隠喩そのものとさえ言えるかもしれない。そこに、新聞小説と姦通小説の隠れた類縁性が顕わとなるであろう。」

(『漱石論:鏡あるいは夢の書法』河出書房新社、p.311-312)

 

 しかしいわば自我のレベルで読者に晒されながら超自我のレベルで罰せられているのは禁忌としての姦通行為だけではない、それに集約されるいっさい、社会に対する代助の反抗的な身ぶりの総体である。そしてそれを描くためにこそ反抗する対象としての「父」が要請される。「近代小説は規範に反する主人公を応援しながら、そもそも主人公が登場しうるために、規範的な社会を必要とする」(平石貴樹アメリカ文学史』p.274)という根本原理を考えるならば、イーディス・ウォートンは『エイジ・オブ・イノセンス』で「今や失われた社会」を懐古的に描けばとりあえずは良かった。それに対し、漱石は近代日本の「社会」をまず小説的に構築せねばならなかった

 漱石の苦慮は注意深く読めば「三」で突然始まる列挙的な家族紹介に既に明らかだ。中でも父は漱石作品中もっとも重要な機能(社会=「父」の象徴)を与えられているが、しかし機能を説明することにのみ奉仕する文章が小説としての完成度に貢献できるとは限らない。

 

「代助の尤も應へるのは親爺である。[…]ただ應へるのは、自分の青年時代と、代助の現今とを混同して、両方共大した変りはないと信じてゐる事である。それだから、自分の昔し世に処した時の心掛けでもつて、代助も遣らなくつては、嘘だという論理になる」

 

 もちろん作者は技巧的な新聞小説家であるから、この後も戦争体験の有無や見合いの場面での結婚観、職業・労働観の相違等を使って読者に世代間の断絶を印象付ける。しかしそれもあくまで「よくやった」というだけのことである(ただし嫂の梅子は非常に良く描けているが)。それは代助が「自然の児」として三千代を愛することを決心する場面での、「最後に彼の周囲を人間のあらん限り包む社会に対しては、彼は何の考も纏めなかった。事実として、社会は制裁の権を有していた。…」というあまりに抽象的な社会観に露出してしまっている。『それから』の終幕の場面は象徴的だ。「ああ動く。世の中が動く」と口に出す代助は実は自分が景色とは逆行して動いているのを意識しつつ半ば喜んでいる。だが、動いているのは電車であり、代助というキャラクターの存在は依然「社会」の運動との逆立によって規定されてしまっている。

 『それから』が浮き彫りにしてしまったのは、「今日始めて自然の昔に帰るんだ」(十四)と代助がいくら宣言しようと、漱石の行き方ではそれを人工的なプロットや舞台の導入でしか描けないということだ。ロマンス的な主人公という図にはノヴェル的な社会という地が必要であり、ヨーロッパならぬ日本ではまず地の構築が問題になってしまうという背理。

 近代日本文学の流れの中で、『それから』の人工性を批評的あるいは審美的に克服しようとして一人ここから逃れえた作家が『暗夜行路』時代の志賀直哉であった。

「近代小説は枠組みとしての社会が前提として与えられ、その中で人間が社会にいかにかかわり、いかなる軋轢を経験してゆくかを描こうとする。[…]こういった近代小説の骨法といったものは『暗夜行路』ではほとんど用いられていない。というよりも、志賀はきわめて我儘なやり方でもって、それを無視し、時任謙作に因果関係が明瞭でなく、重要度が一定でない人物、情景、出来事を出現させるのだ。その上、彼を次から次へと場所を移動させ、彼の人生経験の場所を纏まりある社会として凝集させようとする手法は見せないのである。」(高橋英夫志賀直哉 近代と神話』文藝春秋社、p.264-265)

 

 『暗夜行路』で彼は『それから』と表裏の関係にある「妻の姦通」を扱い、典型的な「父と子」物語の筆法で書かれた自作『和解』を想起させる「序詞(主人公の追憶)」を巻頭に据えながら、両作品とは全く別個の論理で小説を書き継いでいった。そこにも小説が必然的にはらまざるを得ない作為を感じることはでき、つまる所『暗夜行路』も擬装した近代小説であるという面が指摘できると筆者は考えるが、それについては『明暗』との比較で再び考えたい。

『或る女』論

 

文壇に於ける白樺主義の代表者「タケロヲ、アリシマ」の小説について

 

 

革命主義を政治上に實行せんと企てたるは士人なり之を文學上に発揮したるは詩人なり「シヨウヨー」を読む者は通観一過してその言文一致論にかぶれたるを知るべし「シメー」の如きは多言を須たず“A Floating Cloud”の一篇之を證して餘りあらん。「ソウセキ」に至っては満腔の不平一發して「アイアムキヤツト」となり再發して「ボツチャアン」となり餘憤沸々然常に其の毛孔より溢出すと云ふも可なり。沈着にして旧慣を重んずる明治の詩人が従来の面目を一洗して此思想を唱道し中には身を梃んでて此主義の為に打死にせし位なるに不思議なるかな民主の政に近づき四海同胞の訓へを奉ずる大正にては一人の我は帝國の小説家なりと大呼して名乗り出らるる者なし「ムシャノコージ」は詩人なるべしされど其文章は常に中学生程度に溯って小説の新開地にあらず「シガナオヤ」は文章家ならん然し其嗜好は矢張暗夜行路に落付かずして之を中断し亦心境小説に向かへり。其他「サトミトン」にせよ「キクチカーン」にせよ自家一流の特色を具へたるには相違なかるべきも如何せん日本文学を代表するに適したる新作家は頓と出現せざりしなり。然る處天茲に一偉人を下し大に大日本帝國の爲に気焔を吐かんとにや此偉人に命じて雄大堅密の小説を作らしめ筋は露西亜平原を横行する「トルストヰ」の如く主人公は洪濤を掠めて遠く大西洋の彼岸に達し説く所の自己本位は「シメー」「ソウセキ」をも厭倒せんとしたるは實に近来の一快事と云はざるべからず。

 

此小説家名を「タケロヲ、アリシマ」と云ひ官吏の子なり一八七八年「ブンキョーク」に生まる幼にして学習院の生徒となり夫より雑誌白樺の編修人となり廿歳の時「サツポロ」に移り一九〇一年始めて“Life of Livingstone”を著す。さはれ「アリシマ」を「ソウセキ」らに比して日本の十大小説家なりと云へるは「カーガオツヒコ」なり、白樺派の例外的存在と位置付けしは「ホンダシューゴ」なり、渠の比喩と表出は新感覚派の先駆なりと云へるは「リューメエ」なり。真面目にして滑稽ならざるは「オオカショヘー」の難ぜしが如きにせよ、兎に角四十一歳の頽齢で「或女」を以て文壇に旗幟を翻して、在来の小説に一生面を開き、摩いで風靡する所は、仏にては「フローベエル」の「マンダム、ボヴァリー」となり、米にては「ジエームス」の「ロデリクハドスン」となり、今に至つて「白樺」派の名を歴史上に留めたるは、假令百世の大家ならざるも亦一代の豪傑なるべし。

 

「或女」に就いて言はばheroine葉子の遷移読む者の目に明らかにして心理描写巧みなり。「前編」での葉子は一極「ロマンティツク」なり「葉子はその頃から何所か外國に生まれてゐればよかつたと思ふようになつた。あの自由らしく見える女の生活、男と立ち並んで自分を立てて行くことのできる女の生活…古い良心が自分の心をさいなむたびに、葉子は外國人の良心といふものを見たく思つた。」(六章)、「是れから行かうとする米國という土地の生活も葉子はひとりでに色々と想像しないではゐられなかつた。米國の人達はどんな風に自分を迎へ入れようとはするだらう。兎に角今までの狭い悩ましい過去と縁を切つて、何の関りもない社界の中に乗り込むのは面白い。和服よりも遙かに洋服に適した葉子は、そこの交際社会でも風俗では米國人を笑わせないことが出来る。…才能と力量さへあれば女でも男の手を借りずに自分を周りの人に認めさすことの出来る生活がそこにはあるに違ひない。」(十一章)、「而して生まれ代わつた積りで米國の社界に這入りこんで、自分が見付けあぐねていた自分といふものを、探り出して見よう。…自分は如何しても生まるべきでない時代に、生まるべきでない所に生まれて来たのだ。自分の生まるべき時代と所とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になほつても恥しくない程の力を持つことが出来る筈なのだ。」(十六章)、等々。木村との結婚をば「何しろ私共早月家の親類に取つてはこんな目出度い事は先づない。無いには無いがこれからがあなたに頼み所だ。どうぞ一つ私共の顔を立てて、今度こそは立派な奥さんになつておもらひしたいが如何です」(八章)と或る如く体面のみから祝福せんとする「家」の世界を假にMannersの世界と名付くれば過去及び因習を無き物とせる米國亜米利加)はRomanceの世界と呼ぶも可なり。此れ一旦は小説範疇上の「ローマンス」(通常「ノヴェル」と対比す)とは別なれど、筋が著しく「ローマンス」に近き藤村居士の「破戒」或いは「ドストエフスキヰ」の作「カラマアゾフ」に各々「テキサス」、「アメリカ」が丑松及び「ドミトリヰ」のExodusの目的地と定められ現るる点と一般にして奇遇なり。「ローマンス」小説に於ける亜米利加表象の問題と銘す可し。

 

 

「アリシマ」は「ムシャノコージ」の如く博愛の精神を鼓舞し自己中心の風を養って社会を生きんと欲する者にあらず又「アクタガワ」の如く退いて題材を古典に求め瞑目潜心して古今の霊気と冥合し以て天賦の徳性を涵養せんとする者にあらず父子相剋の風を寫し気分を重んずるの気象を奨励せんと欲すること「シガ」に及ばず肉欲貧窮姦婦腐僕を露して一世を感泣せしむること自然主義の詩人に及ばず然らば彼れ何を以て此個々独立の人を超出しオリジナリチーを主張するぞと問はば己れ「アリシマ」に代わつて答へん別に手数のかかる道具を用ふるに及ばず只“womanly love of steward”あれば足れりと。此篇は固より倉卒の際になりし者故無論諸家を商量するの暇はなかりしかど舶載の書に乏しきを以て参考せんと欲して参考する能はざりし者も亦尠からず幸に「ポール、アンドラ」の論文を覧ることを得て稿を草するの際裨益を得たること多し。

B級映画は君に語りかける(0)

人は映画を見て、まれにその歴史を考えたりする。『カサブランカ』を見た後に『ショーシャンクの空に』を見てどちらが心に響くか考える。『ニューシネマパラダイス』を見た後に『勝手にしやがれ』を借りてトルナトーレは泣けるがゴダールはうんぬん、とひとりごちる。名作の財産登録が済んだ、素晴らしい現代消費社会。君はそこに満足しないではないが、息苦しさを感じることもある。まれに、ではない頻度で。

ゴダールは「複数の映画史」ということを言った。「映画史」が「複数の映画史」に変わる瞬間、今まで目を向けられていなかった、そこに美があると信じられてすらいなかった、様々なシーンの美が湧き上がってくる。「名作」は社会が決めるものだが、「B級映画の名作」は君が決めるものだ。「B級」は予算規模やアングラ性の多少によって決まるものでもなければまして蔑称ではない。まぎれもなく消費社会の産物でありながら、そこに疲れきった君に一時なりとも幻想の癒しを与えてくれる、社会の全体にでなく君にささやきかけてくれる映画こそが「B級」なのだ。B級映画は特有の、映画にしか実現できない美をもっている、たとえば
カリフォルニアドールズ』のドールズ回転エビ反り固め!『悪魔のいけにえ』の朝陽に舞うレザーフェイス!『トレマーズ』の棒高跳びで移動するケヴィンベーコン!『バス男』の踊り出すナポレオンダイナマイト!『チキンオブザデッド』のトイレで生まれ変わる巨漢!『エクゼクティブデシジョン』でふっ飛んでいくセガール!『アタックオブザキラートマト』の会話する犬!『サバイバルオブザデッド』のゾンビ化する馬!『エイリアン4』の賞金稼ぎたち!『エクソシスト』のリーガンに毛布をかけるメリン神父!『ロッキーホラーショー』の網タイツで踊る教授!『インビジブル』の輪郭しか見えないケヴィンベーコン!『ファントムオブパラダイス』の疾走するファントム!そして『ザ・グリード』の、不滅の「お次は何だ?」…

以下の文章は、彼らのために綴られる。

はじめの言葉

書を捨てよ、奇書を拾え。

はじめまして、わたしはNicoと申します。アンディー・ウォーホルの愛人みたいに育つようにという願いを込めて親が付けました。
来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、


笑わせておけ。

天上天下唯我独奇書読書会というまったく韻踏んでない名称の会を、来年復活させようと思いブログを始めました。奇書が好きな方、奇書をこれから読んでみようという方、奇書を読んでないとたぶん死ぬという方、奇書を書いたけど誰にも知られてないという方、しりとりで「き」が回ってきたら「奇妙奇天烈摩訶不思議」と言う方、世にも奇妙な物語に出てみたい方、どなたでも歓迎です。日時会場はとりあえずのもので未定ですが、興味を持たれた方はTwitterの@bachelor_keatonまでご連絡を。

天上天下唯我独奇書読書会リターンズ#1
日時: 2016年1月9日(土)
場所: 都内文京区某所某喫茶室
課題書: 竹本健治匣の中の失楽』(2015年12月講談社で再文庫化予定)

では、多くの方とめぐり会えますように!